「何でもいいって、言うから緑茶にしてみたわ」
紫がかった髪を揺らしながら、アヤメはグラスを置いた。ここはアヤメが経営しているカフェだ。今は空魔の喋り場と化しているので店は閉まっていた。喋り場と言っても、この場にいるのは黒髪の少女とアヤメだけだ。
「……私と同じ時期に生まれた同胞もいなくなって、だいぶ経つけれど世界は変わらず回っている。私たちの存在は、あっても無くても変わらない」
「人間もそう変わらないでしょう。いてもいなくても、成り立ちますわ」
アヤメの目の前で頬杖を突きながら、ぶっきらぼうに呟くのは、空魔クロユリである。ウサギのような形をした大きな赤いリボンと、艶のある黒髪が特徴的である。元々は『黒百合姫』という名が付けられていた人形らしいが、煩わしいのかクロユリと名乗っていた。
「えぇ、でも私たちはさらに人の心を糧にして生きる存在。価値で言えば、人間より下ではないかしら?」
「……ワタシたちの餌でしかないのに。ゴミのように増える人間に、価値などあるものですか」
「本当に貴方は人間を憎んでいるのね。私は好きでも嫌いでもないから、分からない感情ね。でもね、私は個人的に人間のことを尊敬しているの。私に持っていない心を、たくさん持っているから」
「急にどうしましたぁ? ニンゲン様すごいですぅ――なんて、ワタシが同意するワケ無いでしょうが。分かっているんですかぁ?」
「分かっているって。そんな怒らないでちょうだい」
「だったら、最初から言わないでくださる?」
クロユリの正体は、人間に捨てられた人形だ。元々はなんの曰くもない人形だったが、最初の持ち主が亡くなった後、行く先々でトラブルが起こり、持ち主が変わるにつれて、いつしか人々の憎悪を一身に受け、呪いの人形になってしまった。彼女の最期は派手に燃えていたそうだ。捨てられ、勝手に呪いの人形にされたクロユリは人間に対して、強い憎悪を抱いていた。空魔になった今、それは最高潮に達していると言っても過言ではない。
「全く、どうしてここに来て、わざわざ不快な思いをしなくてはいけないのですか。アナタと言えど、口は慎んでもらいませんと」
「最近は楽しそうにしているから、人間に対しての印象が変わったのかと思ったのよ」
空魔になりたての頃は、店に来るたびピリピリしていたのが、いつの間にかニコニコしているから、何かあったのかと、アヤメは思った。クロユリのことなので、碌なことではないだろうと予測していた。アヤメの予測を裏付けるように、クロユリは先程の不機嫌な表情から打って変わって、突然笑い出した。
「あら、大正解! 人間の感情を煽って、意図的に空魔化させる実験をしているんですよぉ。ちょっと感情を煽れば、あっという間に連鎖する憎悪。憎しみの炎が燃え上がる様を見るのはとても愉快ですわッ!!」
「……あまり悪目立ちしないでちょうだいね。動きづらくなったら不便だから」
「分かっていますわ。それにしても、人間ってどうしてこうも、おバカさんなのでしょうねぇ。ここまで来ると、さすがにワタシも哀れに思ってしまいますわ」
クロユリはあっという間に機嫌を良くしたようだ。どうやら、たくさんの人間で空魔化の実験をしているようだった。
ちなみに、人型の空魔は頂点にいる、ミュオソティスにしか作れない。クロユリがやっているのは、人為的に空魔を生み出すことだった。負の感情を増幅させたり、人の心を喰らったりすれば意図的に空魔化させることは可能である。
しかし、基本的に空魔は放置していても現れるので、わざわざ増やす必要が無い。クロユリがやっているのは、実験という名の遊びに過ぎない。人間を憎んでいるクロユリなりの意趣返しだろう。
「それにしても、主サマはまだ動かないのでしょうか」
「さてね。動くのはきっと、私たちが先になるでしょうね」
空魔たちの動きに制限は無いが、ミュオソティスは全てを許容しているわけではない。現にアヤメが仲間に助言したり、牽制したりしている。これは、ミュオソティスに思うことがある表れだ。
「主サマの力なら、人間を支配することなど容易いのに、どうしてしないのでしょう」
「するつもりが無いからよ」
「……どういうことですの?」
「終わりはすぐそこまで来ているの。長い夢の終わりがね」
「意味が分かりませんわ」
「あら、ミュオに言われなかった? 貴方たちは一時の夢の中にいると」
クロユリは眉をひそめた。すっかり忘れていたようだった。アヤメたちはミュオソティスの駒である。彼女の意向に従う存在だ。いくら、クロユリが不本意に思おうとも、アヤメたちに終わりがあるのはすでに決められていることだ。
「だから、それはどういうことなんですの!?」
苛立ち気味に、クロユリは問いただす。アヤメは淡々とクロユリの問いに答えた。
「いずれ、私たちは消えるということよ。そのために、悔いのないように終われと、ミュオは言っているの。貴方の場合はそうね……どうして、空魔になったか、初心に返ってみるといいんじゃないかしら?」
「初心もなにも、私は最初から人間が憎い……殺してやりたい。地獄を見せてやりたい、それだけですわ」
「だったら、それを全うすればいい。そうね、どうせなら……空魔討伐部隊――エンプティに見せてあげたらどうかしら?」
これは誰の意思なのか――アヤメか、ミュオソティスの感情か。考えるまでも無かった。ミュオソティスはまだ、彼を憎んでいるのだ。夢の中でも、悪夢は止まないようだ。それでも、夢の中にいることを諦めない。アヤメは複雑な思いを抱く。そんなアヤメの思いとは裏腹に、クロユリのテンションは上がっていた。
「イイ! イイですわね。それならば、さっそく情報収集に行ってきますわ」
脱兎のごとくクロユリは店から飛び出していった。クロユリは、情緒不安定なところがあった。機嫌が悪くなったかと思ったら、次の話題を出せばさらっと流している。機嫌が山の天気のように変わりやすい。逆もまた然り。元が人形だったせいか、外からの影響を受けやすいのかもしれない。誰もいなくなった店内でアヤメはカップに口を近づけながら、ぽつりと呟いた。
「……蘇芳に聞いた方が早いでしょうに」
意気揚々とカフェから出たのはいいのですが、ワタシは重要なことに気づきました。えらい!
「エンプティにケンカ売ろうと思ったけれど、人間の個人情報など全然気にしたことなかったので、誰が誰だか分かりませんわね。はぁ、みんな同じに見える……」
どうしようかと思い、ビルの屋上から世界を眺めていました。人がゴミのように見えます。比喩でもなく、ワタシにはそう見えるのです。ワタシは人間が大嫌いです。臭くて、汚い、まるで昔の自分を思い出します。人間を見ると、虫唾が走る。片っ端から殴り飛ばして、頭を潰してやりたい。街中を血に染め上げたい。そんな光景を一度でもいいから見てみたい。ワタシが投げ込まれた業火に比べれば、他愛のない地獄でしょう。
空魔になって、多少は世の中を楽しめているけれど、人間の存在は今でも許せませんわ。正直、同じ空魔内でも反りが合わないことが多いのです。特にアレ。後から入ってきたくせに、最悪。性根も何もかもが腐ってるあの女――マリーとかはもう最低ですわ。臭すぎる。
『うげーイケメンがいるかと思ったら、女もいんの。黒髪とか陰気くさーい。呪われそーやだやだ。近づかないで』
『この人語を話す雌豚は何ですかぁ?』
『あぁ? 何か言った? 言いたいことがあるなら、はっきり言ってよね。聞かないけど。喋んなくていーよ』
『…………は?』
それから、会合以外で顔を合わせることはほとんど無かった。反りが合わないのもそうだけど、単純にあの女は見ていて気持ち悪い。腐ったドブの臭いが染みついていますわ。愛を求め彷徨っている姿は、嫌でも想起してしまいます。人の愛を求めていた、あの頃の惨めなワタシと被るのです。
ワタシがまだ愛されていた――人形だった頃を思い出させるマリーとは、とにかく会いたくないのです。それを抜きにしても、話したくないほどの性格の悪さですわ……人のことは言えませんけれど。
「こんなことを思い出させるとは、やはり人間は腹立たしい。滅びればいいのに~なんでいるの~」
それでも、終わっているのはワタシたちの方なんでしょうけれど。ミュオソティス――主サマがかつて言っていた。ワタシたちは束の間の命だと。終わりまで、悔いなく生きろと。ワタシには後悔も何も無い。やりたいことと言えば、人間を弄ぶこと。それ以外に思いつきません。ただ、終わってしまうのなら、一発ド派手にやりたいという気持ちがある。何をやるか――具体的なことはまだ決めていません。面白いことがあればいいのですが。
「じっとしていても何も始まらないし、気晴らしに遊んでこよーっと」
街はゴミのようだけれど、ゴミの中にも光るものはあるってことです。宝探しへレッツゴーですわ。ワクワク大冒険――のはずがいきなり出だしから、くじかれることになろうとは。
「……うげぇ。何でお前がいるんですの」
「そっちから来たんでしょ。相変わらず、幸薄そうなオーラ出てるよね。ウケる。その髪どこまで伸びんの? きっしょ」
ワタシが散策をしていたら、ばったりマリーに遭遇してしまった。ワタシに気付いたら、向こうは心底嫌そうな表情を見せてくれましたわ。こっちも同じ気持ちですわ。宝どころかゴミ以下の存在に出会ってしまうとは、幸先悪すぎるっ。どうせ、性懲りもなく男遊びしているんでしょうねぇ。ゴミ女にお似合いの遊びですわ。
「つーか。その姿でうろつくの、ヤバいでしょ。着物にウサギリボンとか盛りすぎじゃん。誰向けよ」
「バカですねぇ。空魔ってその気になれば、姿を隠せるんですよ」
姿を隠せるというよりは、人の心を操作する感覚で、ワタシの存在を人の意識から逸らせるというちょっとした裏技です。
「めんどくさいことするのね。コソコソする必要ないから、私には必要ないけど」
「出来ないからって、負け惜しみは良くないですよぉ」
「人間に燃やされたら面白いのに。火葬超楽しいでしょ?」
「惨めに死ねよ売女」
会うと大体こんな感じなのです。この女はとにかく女が嫌いらしいのです。ワタシが人形だろうが、何だろうが女の形をしていれば目の敵にするくらい、同性への嫌悪が凄まじいのです。過去に何があったのか興味ありませんが、女嫌いで男が好きな女という時点で、ワタシから見てもかなり終わっている人間だと思われます。
「残念ねぇ。今なら死んでも惜しくないくらい楽しいの。エンプティの男に面白い子がいてねぇ。笑いが止まらないのよ。ヒヒッ」
「うっわ……ん? エンプティ、と言いました?」
「今ね、調理中でぇ。もっと、美味しくなる予定なの~」
「あー……そうなんですかぁ。ご愁傷様ですわね」
こんなのに粘着されるとは、一体どんな業を持った人間なのでしょうね。人間嫌いのワタシですら同情してしまいそうです。コイツの場合大抵遊んで、飽きたら喰らうサイクルを繰り返していますので、一人に執着することは無いのですよ。そんなマリーが興味を抱くとは、聞いたところでまともな答えは返ってこないでしょうし、ここはスルーしましょう。愛を求めながらも、人間を享楽の餌としか思っていない、マリーが何を見出したのか、気にならないと言えば嘘になりますが。
「……終わりが来たとしても、後悔しないくらい。楽しそうですねぇ」
「楽しいわよ? 堪らないわぁ……彼を満たせるのは私しかいないのよ。ギャハハハハッ!」
下品な笑い声を発しながら、マリーは去っていきました。不気味と不吉が見えるような後姿でした。このワタシですら、寒気を感じずにはいられませんでした。
「うーん。何の参考にもなりませんでしたわね。マジ役に立たねぇ産廃ですわ。クソったれが、貴重な時間を潰しやがってよォ~」
それからまたしばらく街をうろつくことにしました。せわしなく動き続ける街。だんだん気持ち悪くなってきました。やはり人の姿を見ると吐き気がします。人混みはまさしく人ゴミですわ。休憩がてら、人のいない公園で休むことにしました。木製のベンチに腰をかけ一息つきます。安らげる時間――と思ったのですがそうはいきませんでした。
「相変わらず生産性の無い行動をしてるな」
水を差すようにワタシへ声をかけて来たのは、秋永桔梗。コイツも人間から空魔になっています。説明すると…………特に思い浮かびませんわね。
「あら……誰かと思えば、この世で価値の無い人間だった、桔梗さんじゃないですかぁ」
「お前……前々から思っていたが、口が悪すぎるだろう! まるで、会社の同僚を見ている気分だ。言っていいことと、悪いことの区別もいい年になって出来ない奴のなんと多いことか! 今でも思い出すと腹が立つ……天罰が下ればいいのに。いっそのこと会社も世界諸共潰れてしまえ……」
何か知らないけれど、古傷を抉ってしまったようですね。マジどうでもいいんですけれど。
「あのぉ、何でアナタがここにいるんですかぁ? ストーカーか何かですかぁ?」
「そんなわけあるか。俺はこの辺に拠点を構えているんだ。今は見回り中だ」
「見回り、ねぇ」
コイツのいう見回りは、パトロールとかそういうものじゃない。本人としては、大義名分をもってやっているのかもしれないけれど、やっていることは化物が人間を襲うことになんら変わりはありません。簡単に言えば、人間を喰らっているのです。ワタシたちは空魔ですし、人間の心を糧にして生きていますからね。何も喰わずというわけにはいきません。飢えはやってくるし、飢えを凌ぐには人間を襲わないといけません。人が巻き散らす負の感情も餌の範疇ですが、腹は満たされません。人間の心を直接喰った方が、腹を満たせます。
ワタシはえり好みせず、平等に喰っていますが、空魔の中にはこだわりを持つものいます。特に元人間の奴らはそれなりに好みがあるようです。マリーは男が好きですし、蘇芳は女が好きらしいですね。すごく分かりやすいですね。
で、桔梗はというと、あまり罪の無い人間を襲いたくないようなので、悪そうな人間を狙っているらしいです。善悪は桔梗の基準なので、判定は適当わりとですけれど。ワタシからすれば、人間皆罪を抱いているようなものなので差別も区別もしません。
「しかし、夜中の公園にお前のような奴がいると不気味だな。幽霊みたいだ」
「アナタも十分不審者ですわよ。挙動不審過ぎます」
夜中にスーツ姿で公園にいるような人間とは、普通の人は関わりたくないでしょうね。ワタシもぶっちゃけ、関わりたくありませーん。
しかし、通り過ぎる人間がちらちら煩わしいですわね。思わず、呪ってやりたくなりますねぇ。
「それにしても、夜でも結構人が通るな。こんな夜更けに出歩いて襲われても、自業自得だな」
「何か理由でもあるんじゃないですかねぇ。それより、アレ放っておいていいの?」
公園の片隅で柄の悪い連中が、何かやっています。木々に隠れて分かりづらいですが恐らく、いじめでもしているのかもしれません。生温いですねぇ。やるならもっと、隠れて本格的にやりましょう。0点!
「……こんな時間にのうのうと襲われる奴も悪いが、襲う奴はもっと悪いな」
「どうでしょうねぇ。って、いないし……」
狩りに出たみたいなので、ワタシもそろそろ休憩終わりにしましょうか。しばらくして、桔梗が向かった先から、何やら楽しそうな悲鳴が聞こえてきます。桔梗の悪い癖ですね。もっとも、ワタシは人間がどうなろうと知ったことではありません。空魔の前では善悪も何もかも関係ないのですよ。ワタシたちはただの燃え殻ですから――
その後ワタシは桔梗に触発されて、人間を使って遊んでいました。最近は喰うことよりも、実験の方が楽しいのです。私が空魔化させた人間は数えきれません。
ワタシは人間が嫌いなので、無理矢理空魔化させる方が好きなのです。人間が苦しむ姿を見るのはたまりません。ただ、やり過ぎると、エンプティに目を付けられてしまうので、ほどほどにしています。出る杭は打たれますからね。憂さ晴らしにも飽きて、ワタシはアヤメのカフェに身を寄せていました。ここは拠点というより、情報共有の場になります。後は息抜きの場所。カウンター席に座って、腕を伸ばしていました。人間の客はいません。そもそも、ワタシはそういう時間を狙ってきているので当たり前です。ゆっくりしたいときは、何もしません。
「あーあ。結局エンプティの情報得られなかったわぁ」
「リリちゃん今更、エンプティに興味持ったの。あれだけ姫様が言ってたのに」
店内にはワタシのほかにも隣の席に蘇芳がいました。菜花蘇芳。いつも帽子を被っている、よく分からんヤツですわ。軽薄そうに見えて、色々考えているタイプですね。ワタシの邪魔さえしなければ、どうでもいいのです。ちなみに、元人間組の中でもコイツはべつにそこまで不快になりません。話が通じるからですかね? それを言ったら桔梗はどうなんだって話なんですが。
「エンプティの人間を、ドン底に堕とせたら堪らないでしょうねぇ、と思いまして。エンプティって確か、空魔退治する部隊でしょ? 何か仕掛けたいと思ったのです。でもですね、よくよく考えたらワタシ、エンプティのことほとんど知らないんですよ~びっくり~」
「ふーん。それなら、俺に言ってくれたらよかったのに。空魔研究所の諜報員だし。エンプティの隊員も育成してるし」
「はぁ!?」
ちょっと待ってくださいな。そんな話聞いたことがありませんわ。本当ならとんだ無駄足ですわね。クソったれ。
「最初に自己紹介したとき言ったはずなんだけど……」
「全然聞いてませんでしたわ」
「ミュオソティスの話も聞いてないなら、なおさら聞いてないでしょうね……」
アヤメが出てきて、ミックスジュースを置いていきました。特に好きなものは無いので、手当たり次第に頼んでいます。味は美味しいのか不味いのかよく分からないので、ノーコメントですわ。だって、人形ですもの。味なんて分かるわけがないじゃないですか。
「アヤメぇ……分かってたら言いなさいよぉ~」
「だって、その前に出ていったんだもの」
「あっはっは。でも、ここに帰ってきたのは正解だよ」
「それで、アナタはどんな有用な情報をくれるんですかぁ? マリーみたいに意味不明なこと言ったら、殴り潰しますわよ」
「……マリーに会ったんだ、はは。それよりも、リリちゃんはどういう情報が欲しいの?」
「面白そーな人間」
「雑過ぎるっ!」
そう言われましても、ワタシが興味あるのは派手に燃えそうな人間です。それが、誰なのかって話なのです。エンプティも隊員が多いはずです。ワタシとて、無作為に人間を使い潰すのは嫌ですし、何より無駄な労力を割きたくありませんわ。
「面白い……ねぇ。リリちゃん好みの人間はかなり絞られるだろうね」
蘇芳はそう言いながら手元にある端末を弄っていた。
しかし、隊員の情報は機密情報ではないのかしら。持ち歩いても何も言われないとか、ヤバいわねエンプティ。そもそも、組織の所長からして、曰く付きらしいし、気にすることでもないのでしょう。って、何故ワタシは敵の心配をしているのでしょうか。
「ほらよ。僕個人がテキトーにまとめたエンプティ隊員情報。スライドで下まで見られるよ。タップすると、さらに詳しい情報が――」
「た、タップ? うーん。機械は見づらいですわ……」
画面に顔を近づけながら、面白そうな人間を探しました。あーもう見づらいわね。現物がやっぱ一番ですわ。あ、間違えて押してしまったわ! って、あれ……これ。
「ん、コイツ。どこかで見たことあるような……」
「へーどれどれ……あー……それ? それいっちゃうかー」
ワタシが指差した先には二つのリボンをつけた、紺色がかった髪をした少女の写真。それを見た蘇芳はバツの悪そうな表情をしました。
「何かマズいことでもあるのかしら」
「マズいって言うかなぁ。多分、クロが黙ってないかな」
「……面白そうじゃありませんの。それにしても、どこだったかしら。ちょっと、潜ってきますわ」
「リリーは果たして覚えているのかしら」
「でもさぁ、見覚えがあるってことなら、印象的だったってことだろ?」
外野の言葉を無視して、ワタシは記憶の海を手繰りました。ワタシが覚えているということは、かなり面白い人間のはずです。なるほど、なるほど、見えてきましたわ。
「この子、確か弟がいたはずですわ。ワタシはその子の弟と少ししだけ話しました。その後様子を見た時に、彼女を見かけましたの。弟の方を空魔化させてみようと思い、観察していたんですが、途中で飽きちゃって。それにしても、姉がエンプティに来ていたのですね」
終末感が漂っていた姉妹だったと思います。それがどうにも、面白くて。弟は姉のことが好きだったらしいのです。ワタシは少しだけ、唆してみたんですけれど、あまり効果がありませんでした。開き直られたし、それにちょっとワタシが関わりたくないなって思ったのは内緒です。敗北したみたいじゃないですか。それよりも、ぶっ壊れた紫苑ちゃんの方が面白そうでした。居場所が無くて、黒猫に話しかけている様は、ワタシも涙が止まりませんでした。
ただ、観察し続けても進展する気配が無かったので、途中で飽きてしまいました。その後は完全無干渉です。それが、こうなるとは。人間は面白いですわね。弄びがいがありますわ。
「なんだよ、めっちゃ関係あるじゃん」
「決めましたわ。面白そうだから――紫苑ちゃんで遊んでみようと思いますわ!」
「……忠告しておくけど、クロにちゃんと話しておいたほうがいいよ」
冗談でもなさそうなトーンで蘇芳が言います。マリーのように、性根は腐っていませんし、ちゃんと話はするつもりです。それよりも、クロちゃんと紫苑ちゃんの関係の方が気になりますね。
「そもそも、どうしてクロちゃんと紫苑ちゃんに関係が?」
「んーまぁ。紫苑ちゃんが世話してた黒猫は“クロ”だけど、クロは死んじゃって……空魔になった――ってクロが言ってた」
「あぁ、その時の黒猫がクロちゃんだったのですね! って、これクロちゃん、知ってたんですかねぇ」
「知っていたんじゃない? あぁ見えて、抜け目ないからね」
アヤメがコーヒーを飲みながら呟きました。アヤメもこう見えて、周りを見ているのでしょう。そもそも主サマに一番近い空魔ですし、動向を観察しているということも、あり得ます。直接手を出して、何を言われるか。というか、マリーの方も手を出してるし、ワタシだけ何か言われる謂われはありませんが。アヤメはワタシの考えを見透かすように続けました。
「……特に言うことは何も無いし、私は好きにすればいいと思うわ」
「やらかして、こっちまで燃やすのは勘弁してよ。後処理はやってやんないからな」
「はいはい。分かってますって。それよりも、情報提供に感謝しますよ。久々に楽しい夜が来そうで……ふふ」
椅子からひらりと降り、ワタシは店を後にしました。情報はざっと頭の中に入れました。後はどうするかですね。相手は別にワタシとは面識がないですし。もう、めんどくさーい。紫苑ちゃんターゲットにするなら、今近くにいる人間に絞った方が良い気がします。そう考えた私の足は自然にUターンしていました。
「というワケで戻ってきましたわ! 紫苑ちゃんの交友関係を教えなさーい!」
バーンとカフェの扉を開いたけれど、二人はそれほど驚いていませんでした。まるで、戻ってくることを予想していたようです。そんなに分かりやすいですかねぇ。
「だろうと思ったよ。情報ピックアップしてやったから、スカスカの頭に叩き込みな」
「いちいち、癪に障る言い方をしますわね。いざとなったら、空魔の力でどうとでもなりますわ」
蘇芳から渡された機械を操作しながら、ワタシは使えそうな情報を吟味しました。うーむ。学校に通っている同級生辺りを狙った方が良いかもしれません。
「あれを調べるってなったら、これも調べるってことになるんですよねぇ。ねぇ蘇芳、面倒だから身辺調査してきてくれませんかね?」
「多分、リリちゃんの知りたいことなら――」
そう言って蘇芳はワタシの手から機械を取り上げて、慣れた手つきで操作を始めました。最初から全部見えるようにしておいてくれませんかねぇ。
「普通の人間用なんでねぇ。悪いねぇ」
「まだ、何も言っておりませんが?」
「言わなくても、顔に出てるって。心を読むまでも無い。ほら、交友関係だよ。紫苑ちゃん……クラスメイトとあまり関りないっぽいから、苦労するかもしれないね」
「全くいないってことは無さそうじゃない。ふーん。コイツ使えそうじゃない。どういうのかしら……って。誕生日とか特技とか経歴はどうでもいいのですが」
下らない情報ばかりですわ。経歴より、今どういう状況に置かれているのかが重要ですのに。感情を煽れるような何かがあれば手っ取り早いのですが、さすがにそこまでの情報は載っていないようです。
「詳しく知りたいなら、自分で調べなよ。抱えている事情とかは、特にね」
「やっぱそうなりますかねぇ」
蘇芳に端末を返して、ワタシは腕組をしながら、考えてみます。労力に見合った結果が約束されているのなら、頑張れるのですが、これだとどうしようもありません。モチベーションというものですね。大事です。
「住所くらいは調べてあるから、頑張ってくれ」
「これで、不燃物だったらどうしてやろうかしら」
「八つ当たりは勘弁してくれよ。つーか紫苑ちゃんどうにかしたいなら、クロに協力でも仰いだらいいだろ。多分、一番手っ取り早いぜ?」
「協力してくれるんですかねぇ?」
「そこはリリちゃんの言い方次第っしょ。それくらいは自分で考えてよ」
「ふむ……」
ワタシはふらふらしながら、店を後にしました。クロちゃんに協力してもらうって言っても、あの猫にどこで会うのか。まぁ、同類の気配はある程度察知出来るのですが、隠されたらアウトです。向こうから会いに来てくれるのが一番ですね。
そんなことで、ワタシはそこらへんにあるビルの屋上から地上を一瞥していました。月明かりが照らす世界、光が途絶えることはありません。人はゴミのようにわらわら湧いています。眠らない街。さっさと、夢に入った方がいいのに。
「薄汚いですわね。どいつもこいつも……」
人間は汚い。醜い。穢れている。消えてしまえばいいのに。消えてしまえば、きれいさっぱり浄化されるでしょうに。
「全部燃えてしまえばいいのに……」
瞳に映る世界は今日も、真っ赤に燃えていました。この炎はいつ、消えるのでしょう。
「きっとそれは……ワタシが終わる時でしょうね」
冷たい夜風が、ワタシの器を大きく揺らす。空っぽで永遠に満たされない器。焼けた後には何も残らないように、ワタシは今日も腐った大地を彷徨っています。
けれども一方で、夢の終わりが少しずつ近づいているのを、どこか感じるのでした――