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空と海と星の間で

 宇宙はどこまで広がっているのだろうか。


 この世界に、奇跡があるというのなら、願わずにはいられない。
 満月が美しく輝き、夜の海を照らす時、あの時間が鮮明に蘇る――


『ヨダカはどうして、ここに来たの?』
『特に理由はない。ふらっと何となく――』


 初めて彼女――ルルに出会ったのは、夏休みに入った頃だった。夏休みは特にやりたいこともなく、家で寝ていることが多かった。たまに友人から連絡が来て外出したり、家族と出かけたりすることもあるが、遠出をする予定はなかった。旅行へ行くクラスメイトも多いみたいだが、俺には無縁の話だった。
 どこか遠くへ行きたいというわけでもないが、そんなわけで夏休みだからといってテンションが上がることもなかった。
 強いて言うなら、こうやってごろごろ出来るのはいい。
 初日から早一週間、両親は仕事で兄弟もいない俺は一人、堕落しきった生活を送っていた。

「……なんか色々とヤバい気がする」

 何もしていないと逆に不安になってくる。動画を見て、お菓子を食べて……あまりにも酷すぎる。
 かといって、夏は暑くてどこへ出かける気もしない。スマホの画面を見ながら、ため息をついているとある写真が目に留まった。
 それは綺麗な海の写真だった。透明感があり、撮影されたものとは思えないほど、鮮やかに写っていた。

「海かぁ」

 そういえば、うちの近所にも海があった。ただ、特に何があるというわけでもない。知名度も低く観光客はあまり来ない。

「暑いしなぁ……そうだ、夜なら」

 誰もいなさそうだし、夜なら多少は涼しいかもしれない。散歩にはちょうどいいだろう。こうやって無為に過ごすよりは多少なりとも外出したほうが健康にいいはずだ。
 そう思って、変な行動力を発揮した結果――

「なんだ、あれ」

 見てはいけないものを見てしまった。
 それは魚のように飛び跳ねる少女の姿。あまりにも人間離れした動きに、思わず釘付けになった。少女の周りを、水が意思を持ったように動く。水しぶきかと思ったが、そうではない。間違いなく、馬鹿げているが何かの力が働いているかのように、踊っている。
 夜の海に輝くイリュージョン。不思議な世界に迷い込んだのかと思った。
 月下に照らされた少女は、人間離れした艶やかさがあった。水の中に潜っていった。そこからしばらく、時間があった。普通の人間がどれくら息が続くか分からないのだが、かれこれ十分以上は経っている気がする。
 心配になったので、波打ち際まで歩いていった。
 夜の海は少し冷たく感じられる。このまま、潜っていたら間違いなく死ぬだろう。膝のあたりに水がくるところまで出たが少女はいない。
 辺りを見渡してみるが、人の気配も感じられない。先ほどまでのは現実だったのか。もしかすると、幻だったのではないかと思い始めた。夢ならば、少女は無事で誰も悲しむことはない。現実だった場合は、最悪だ。

「なんだよ、もう」

 見つからないものはしょうがない。このまま闇雲に探し続けて、自分も行方不明になったら洒落にならない。体も冷えてきて、出ようとしたところ、何者かに体を引っ張られた。バランスを崩して、思いっきり水の中へドボン。何が起きたかも分からない。うっすら目を開いて空を見上げれば、夜空が綺麗だった。

「あれま、ごめんね。そんな強く引っ張ったつもりはないんだけど」
「え……」

 空を覆い隠したのは、見知らぬ少女の顔。ソーダ色の鮮やかな髪が夜風になびく。その時の俺は酷く呆けた顔をしていたと思う。
 少女は手を差し伸べていた。特に抵抗もなく俺はその手を取っていた。起き上がって、改めて少女と視線が合う。何だか少し照れ臭いというか、恥ずかしくて視線を逸らしてしまった。
 
「キミ、ずっと見ていたよね」
「な、なんのこと!?」
「ワタシが水浴びしていた所、見ていたでしょ?」

 もしかすると、あの不思議な舞をしていた少女か。潜ったきり帰ってこなかったと思っていたものだから、驚きである。

「水浴びだったのか……」
「ほら、やっぱり見ていたじゃない」
「え、あ。別にそんなつもりじゃなかったんだ。綺麗だったから、つい」
「……ま、そうよね。ワタシはとっても美しいからね。見蕩れてしまうのも仕方がない!」
「あーうん……」

 独特のテンションに思わず引き気味になってしまう。さっきの神秘的な雰囲気は水の中に沈んでしまったように、朗らかに笑う少女。悪くはないのだが、何とも言えない感じである。

「元気ないわね。ここってキミみたいに暗い人ばっかなの?」
「そんなことはない、と思う。元気が無いというか、疲れているだけだ」
「へぇ。ねぇそういえば、キミは名前なんていうの? 私はルル。ここには旅行で滞在中」
「俺は……夜鷹。ここ、何も無いのに観光なんて珍しいな」
「何もないってことはないでしょ。こんなに素晴らしい海があるのに!」

 ルルは手を広げてアピールをする。海ならもっと写真映えする場所がたくさんある。好き好んでくるような場所でもない。決めつけは良くないのだが、ここの地元民に聞けば大抵、同じような反応が返ってくるだろう。

「綺麗だとは思うけど、そこまでなぁ」
「ヨダカは海の中へ潜ったことはないの?」
「ないよ、泳ぐの得意じゃないし……」
「じゃあ行ってみよ!! そうすれば良さが分かるよ」
「え……」

 今、何て言った? 考える暇もなく、海へ引きずられていく。ものすごい力で、引っ張られ為すすべもなく水の中へ旅立つのであった。
 翌朝、死体で浮かんでいたら嫌すぎる。これ新手の嫌がらせか何かか?
 水の中では空気がない。そのため、息をすることは出来ない。人にとっての常識である。装備もなく潜れば、あっという間に溺れて死ぬ。
 俺は特殊な訓練も受けていない、ごく普通の人間のため、海の中に潜ればそうなるはずだったがのだが。

「なん、で」
「ははは。面白い顔。ワタシは魔法使いなんだ……って言ったら信じる? なーんて、そんなことよりも、海の中はどう? 外から眺めるものとはまた違った雰囲気あるでしょ」

 ルルはニコニコしながら、俺の手を引っ張る。水の中を軽やかに進んでいく彼女はまるで、人魚のようだった。ルルの言葉の中には意味不明というか、にわかには信じられない事実が紛れている。
 魔法使い――なんてそんなものあるわけが無い。
 しかし、今俺は息をして、海の中を探索している。魚の群れが、列をなして泳ぐ。マグロのような大きな魚が通り過ぎ、様々な生き物が海の中では生活をしていた。
 普通だったら見ることの出来ない光景だ。
 ルルの言う通り、外から見ていた海とは違い、海の中は命の輝きに溢れている。

「どうして、こんな」
「気にしなーい。気にしなーい。海はね、もっと大きいんだよ。どこまでも広がっているんだよ。こんなものじゃない」
「それは知っている。でも、おかしいだろ。これは夢なのか?」
「夢のような世界よね!」
「はぁ」

 ルルとは会話がかみ合わない。わざとはぐらかしているようにも聞こえる。
 一体彼女は何者なのだろうか。
 しばらく、海の中を探索した後浮上した。会話はあまりなかった。

「ずぶ濡れだ」
「でも楽しかったでしょ」
「それは、まぁ」

 楽しくなかったわけではない。
 むしろ、こんな経験が出来て最高だ。
 でも、ルルは一体何なのか。冷静になると、気になってくる。今は何時だろうか。親はもう帰って来ているだろうか。
 ルルの方を向いて、別れを告げる。

「俺はもう帰る。さよなら、ありがとう」

 踵を返したところ、ルルが呟く。

「ねぇ、明日も来ない? しばらくここにいるんだ。暇だから、また遊びに来てよ」
「一人旅なのか?」
「……そんな感じかな」
 
 ルルはそれ以上何も言わなかった。俺も何も言わず、夜の海から逃げるように立ち去った。
 夢か現実か。
 今夜は眠れそうになかった。

 
 あれからどうしたかと言うと、海へ足を運ぶことも出来ず、再び自堕落な生活を送っていた。夜の散歩もあれ以来言っていない。ルルという少女は『遊びに来てよ』と言っていたが、恐怖の方の気持ちが勝っていた。正体の分からないものを気味悪いと感じる人間の本能だった。
 彼女自身は全く、悪い人間ではないがそれ以上に、謎が多い。一人旅というのは、珍しくもないのかもしれないが、明らかに不自然だ。
 しばらく滞在しているようだが、彼女はまだ一人で夜の海で遊んでいるのだろうか――
 
「気になるとかそういうんじゃなくて、好奇心って……変わらないか」

 日が沈んだ頃、再び俺は海岸まで行った。海の水にも少し足を付けてみたが、反応はない。
 さすがにもう帰ったのか。あれから一週間くらい経っていた。
 少しほっとしている自分がいる。
 やはり、あれは一時の夢なのだ。少女なんていなかった。それでいい。
 家に帰ろうとした時だった。

「おーい! 待って、よ。どこ行くの! はぁ……はぁ」

 聞き覚えのある澄んだ声。振り向けば、そこには息を切らせたルルが立っていた。
 急いできた様子だった。一体どこから来たのだろう。

「遊びに来てっていったのにどうして来ないの!」
「約束してないし」
「ああいう時は来るものでしょう!?」

 ルルは怒っているようだった。というか、知り合って間もないのに警戒心がなさすぎる。警戒しているのは自分の方だけである。そう思うと少し馬鹿馬鹿しい気もする。
 けれども、ルルの存在は間違いなく異質なものだった。これがまだ夢の続きなら、早く醒めて欲しい。
 ルルへの恐れは収まらない。彼女を傷つけてしまうと分かっていても、自分の命が危険に晒されるのは黙っていられない。

「だって、よく分からないし」
「分からないって何が」
「今も夢なんじゃないかって思ってるんだ。この間の事、何が起こったのか全然分からないし、君は魔法使いだって言ったけれど、違うだろう? 怖いんだよ。今度潜ったら、一生出て来られなくなって死ぬんじゃないかって思うんだ」

 海の中へ引きずり込む魔物。そんなものは信じていない。信じてはいないけれども、海の中で沈んでしまったらどうなるのか。俺は普通の人間だ。息が続かなくて死ぬだろう。
 ルルが騙して、殺してしまうかもしれない。嫌な想像力ばかりが働く。

「奇跡だとしても、怖いんだ。海の中は暗くて、流されたら最期。二度と見つからないこともある」

 海は美しいと共に残酷でもある。
 海が牙をむけば、無慈悲に全てを飲み込んでいく。人は無力な生き物でしかない。
 ルルは静かに俺の話を聞いていた。何を思っているのかは分からないが、茶化す様子はない。

「海が怖い?」
「海もそうだけれど、ルルも何か分からないし、正直怖いよ。取って食われるかもしれないだろ」
「さすがにそんなことはしないって。どうしたら、証明できるかなぁ。そうだ、一緒に海の中へ入って証明しよう! キミが陸まで生きて帰ってこられたらワタシは無害ってことで」
「は!?」
「よーし! じゃあ、いっくぞー!」

 有無を言わさず、俺はルルに手を引っ張られあっという間に海の中へ消えていった。
 神様どうか、死ぬ時は安らかに殺してください――
 
 と、色々走馬灯のようなものが浮かんできたものの、こうやってまだ考えられる以上死んだということは無さそうだった。杞憂に終わったというべきか。
 しかし、無事に家に帰れるまでは安心できない。
 海の中は相変わらず、魚が優雅に泳いでいる。どこまで来たのかは不明だが、明らかにこの付近では見かけない魚もいる。竜宮城へ来た浦島太郎もこんな気分なのか。

「ほれほれ、どうだ? 死ななかったじゃない」
「無事に陸に上がれるまでは、信用しないぞ」
「何よ、もう。せっかく来たんだから楽しまないと!」

 ルルに手を引かれ、海の中を進んでいく。落ち着かないが、普段見ることの出来ない景色を見て、心が躍る。

「うわ、何か通ってるよ!」
「もしかしてクジラ!? でかっ」

 暗くなって何かあったのかと思って、上を見上げれば、大きなクジラが通過していった。こんな間近でクジラを拝めるとは思わなかった。クジラはこちらには目もくれず、悠々と泳いでいる。
 カメラがあれば、撮っておきたいところだ。
 とはいっても、ルルとずっと手をつないだままなので、持っていた所で叶いそうもない。

「そういえば、何でずっと手をつないだままなんだ」
「そうしないと魔法が解けちゃうから。本当に死んじゃう」
「マジか……」

 さらっと、怖いことを言う。やはり、ギリギリのことをしているのだ。
 でも、ルルと手をつなぐだけでこんな世界が見られるのなら、それはそれで悪くはないのかもしれない。何かの拍子で手を放されたらたまったものではないが。
 不安が込み上げ、思わずルルの手を強く握ってしまった。
 ルルはそんな俺の不安を察してか両方の手で優しく包む。

「大丈夫。絶対に離したりしないよ」
「あ、あぁ」

 微笑むルルはキラキラ輝いていて、天使のように見えた。
 このまま死んでもいいかもしれないと思えるくらいにルルは美しく見えた。

「どうしたの、そんなに見つめて」
「何でも、ない。死なないならそれでいい」
「変なの」

 ルルは俺の様子が可笑しいのか笑っている。はっきりとものを言うし、裏表もなさそうな性格。強引な所もあるが、優しいところもある。
 
「こんな所で突っ立っていても、どうしようもない。まだまだここの夜は長い。楽しもう!」

 再び海の中を旅する。
 もう、彼女への恐れはなかった。
 それからは、なるべく多くルルの元へ通った。二人で海の中を揺蕩い、他愛のない話をする。話していてわかったことは、彼女はあまり自分のことを話したがらなかった。間違いなく、訳アリで普通の人間とは違う。
 俺はそれ以上追及することはなかった。ルルの正体は気になるけれど、彼女が話したがらない以上無理強いはよくない。
 自分の中に今までになかった、感情が込み上げてくる。
 気づけばルルに惹かれていた。
 彼女への思いを秘めたまま、時は過ぎていく。夏休みは終わりに差し掛かっていた。夏休みで余裕があったからこんなことが出来たのだ。消極的なかつての俺はどこへいったのか。
 きっと、夏休みも終わったら彼女もどこかへ帰ってしまうだろう。夢のような出来事のまま綺麗に終われる――そう思っていた。
 いつものように、ルルの下へ行くとどこか悲しげな顔をしていた。これまで見たことのない表情だった。普段の彼女から完全に光が消え失せていた。
 静かに近づくと、少し驚いていた。いつもは、ルルから向かってくるが、今日だけは違った。何もかもが違っていた。

「ルル……」
「あ、ごめんね。気付かなかったっけ」
「どうかしたか?」
「あのね、ワタシ帰らなくちゃいけない。だからね、今日が最後」
「……そうか」

 いつかは来ると思っていた。永遠に続く時間など存在しない。夏が終われば秋が来るように、時間は移ろう。

「行こう」
「あぁ」

 ルルの手を取り、満月の映る夜の海に飛び込んだ――
 いつもと同じ景色は無く、毎回違う姿を見せる海は幻想的な光を放っている。波に打たれ夜光虫は煌めき、魚たちは躍る。
 その中を無言で泳ぐ。今日のルルはどこかおかしい。別れだからというのもあるのだろうけれど、それ以外にも何かありそうだった。これまで、彼女は自分のことを話さなかった。
 問いかければ、答えてくれるだろうか。
 何も知らないまま、別れるなんて嫌だ。こんな思いをするくらいなら、最初から無視すればよかった。
 あっという間に時間は過ぎていき、ルルと共に浮上する。
 空を見上げれば、満月が二人を見下ろしていた。

「浜辺まで行こ。話しておきたいことがあるの」

 ルルは意を決したように告げる。一体何を言われるのか――ルルの雰囲気からして、あまりよくない内容な気もするが、彼女が何か話してくれるだけでも嬉しかった。
 浜辺に上がってから、俺は座り込んでしまった。どっと、疲れが襲ってきた。対してルルは水が足元に来るところで、立っていた。
 月を眺めている彼女の顔はどこか儚げである。
 ルルが立ち尽くしたまま何も言わないので、俺から切り出すことにした。

「……話ってなんだ」
「大した事じゃないの。っていっても、ここだと大事なんだろうね。ワタシ、この星の住人じゃないの」
「はぁ?」

 ルルの言葉に、思わず呆けた声が出てしまった。彼女は今何と言ったのか、分からないわけではなかった。頭の中で理解が出来なかった。

「言ったでしょ。ここには旅行に来たの。星間旅行よ」
「え、意味が分からない。この星って、それじゃあルルは宇宙人になるのか?」
「この星だとそう言うんだね」
「言葉とかどうなってんの!?」
「翻訳してくれる道具があるから問題ないよ」
「頭が痛くなる……」

 ルルは腕に巻いたブレスレットを指さしていた。
 ルルは宇宙人でこの星の人間ではない。まとめるとこんな感じである。
 いやいやいや、物事には限度があるだろう。

「信じられないのも無理はないよ。ここは、宇宙人の存在を公には認めていないからね。こうやって会話するのも本当はご法度なんだけど。拘束力は無いから捕まることはないよ」
「捕まるって……」
「色んな星があるんだよ。宇宙人の存在を認める星もあれば、認めない星もある。認める星に関しては、法も寛容だし旅行するときに苦労することは無いけれど、ここみたいに認めていない星だと、現地人に擬態出来る種族じゃないと上陸出来なかったりするんだ」
「え、じゃあその姿は」
「この姿はそのままだよ。偶然、似た姿形をしているみたいだから、動きやすかったよ」

 ルルの話によれば、宇宙にはルールがあって旅をするときにはそれを守らなくてはいけない。俺の住む地球は宇宙人の存在を認めていないため、来る際は目立たず行動しなくてはいけないとか。侵略行為とみなされる動きをすれば即刻追い出されるらしい。
 そんなことあるのかと少し馬鹿にしていたが、実際に起こっているだとか。冗談を言っているふうでもなく、真面目に語っていた。

「世界は広いんだなぁ」

 ルルの話を聞いても、当たり障りのないどころか中身のなさすぎる感想しか出てこない。ルルが宇宙人だとするのなら、彼女は一体どんな星から来たのだろう。

「あのさ、ルルのいた星ってどんな所なんだ?」
「ワタシの星は水に覆われた星だよ。マールっていうの。みんな水を操る力を持っているんだ。水の中でも生きていけるというかむしろ、水が無いと生きていけないんだけど」
「もしかして、水の中で息が出来ていたのって」
「人でも息が出来るように、水の性質を変えたの。物理的に操ることも出来るし、変化させることも出来るの。大抵は物理的にしか操れないんだけど、ワタシは特別ね」
「便利そうな能力だな」

 水と共に生きるマール星人は、生まれながらにして水を操る力を持つ。魔法使いと言ったのもあながち間違いではないのかもしれない。俺からすれば魔法のようなものだ。

「じゃあ、ルルは故郷に帰るんだな」
「そうだね……」

 ルルは辛そうな顔をしていた。帰りたく無さそうな――思い違いだったら恥ずかしい。一緒にいたいとかそうわけでもあるまいし、まだまだルルには謎が残っていた。

「俺はルルに会えてよかった。何もないまま終わるはずだった夏休みは、ルルのおかげで楽しかった」
「ワタシも……楽しかった。終わって欲しくない。終わりたくない」
「また、会えないのか」
「帰ったら、ワタシは星の巫女になる。一生外に出られないまま祈りを捧げるだけ……」

 星の平和と怒りを鎮めるための巫女だそうな。
 本来ならばルルは継ぐことはなかった。代々巫女は水を完全に操ることが出来る者がなるようだ。そのため念入りに準備はしているのだが、どうやら今回は巫女の仕事をしていた家系に能力を持った子供が生まれなかった。そういった経緯から血が近く、なおかつ巫女として相応しい能力を持っていたルルに白羽の矢が立った。
 ルルは猛反発したが、決定は覆らなかった。ルルは巫女になる前に、宇宙を見たいと願い出て一族はそれを受け入れた。もちろんルルには監視がついていた。逃げないように、死なないように。

「監視は一時的に無効化しているの。今だけは、本当のことを話したいから。それももう時間の問題。こんなことしたから強制送還ね。あはは」
「……ルル」
「最後にね、最高の思い出が出来たよ。ありがとう、ヨダカ。大好き」

 ルルは泣いていた。満面の笑みを浮かべ、泣いていた。
 月夜の下、涙はきらきらと流れていく。

「どうして、俺に声をかけたんだよ。俺なんかに……何も出来ないのに」
「ワタシのこと真っ直ぐ見つめていたから。キミ以外にも、何人か私を見た人はいたけれど、熱心に見ていたのはヨダカくらいだったよ」
「……何だよ、それ」
「きっかけなんてどうでもいい。ワタシはヨダカと出会ってよかったもの」

 短い間だったが、同じ気持ちだ。本当は離れたくない。一緒に居られるならそうしたい。でもきっと、ルルは望んでいない。ルルを救えるほどの力もない。
 ルルが帰った後も無事であること願うしか出来ない。もう二度と会えないのなら、言うしかない。思いっきりルルを抱きしめた。ルルの体は細く、折れそうだった。

「ルル、ごめん。好きだ。本当はもっと話したいことがある。離れたくない……」
「そっか。なーんて、ワタシもヨダカのことが好き。でも、ワタシはヨダカの想いに応えられないよ」
「知ってる。後悔したくないから」
「はっきり言うタイプなんだね。もっと、奥手かと思った」
「自分でも驚いてる。こんな人間じゃなかったと思うんだけど」
「変われるっていいと思うよ。これからも、きっと変わっていくと思う。ヨダカはいろんな人に出会って、色んな経験をして成長していくの」

 ルルの感触が無くなっていく。いよいよ、帰還の時が迫っていた。
 
「宇宙で旅行が出来るようになったら、ルルの所まで会いに行くよ」
「待ってる」

 ルルはそっと離れていく。永遠の別れではない。
 きっと、いつの日かルルに会える日がくる。
 奇跡はあったのだから。
 そうだろう?

「さよなら、愛しいヒト。ワタシは忘れない。記憶が消えても……覚えているから」

 ルルの姿は完全に消えた。彼女は最後まで秘密を貫く人だった。悲しませないように、傷つけないように――そんなの余計苦しいだけだ。どうせなら、自分の記憶も消して欲しかった。彼女はどうして、記憶を残したのだろう。
 後に残ったのは、漣の揺れる音。虚しく光る満月。

 全部夢ならどれほど良かったか。

 しばらく海を眺めたが、彼女はもう戻ってこない。
 俺は彼女がいなくなっても、その場にとどまり続け、ぼんやりと水面を見つめていた。

 
 夏休みの最後は、全てが終わった日となった。


「夜鷹先輩。今日は雲一つない星空! それに満月と来ました! 天体観測日和です」
「そうだな……」
「あれ、先輩どうしたんですか。浮かない顔してますね?」
「いつも通りだろ」
「そーですか。先輩って満月の時、大抵しんみりしてるから、何かあったのかなぁって」
「何も無いよ。本当に、何も無かった」
 
 天文学部に入った今でも思い出す。
 あの日の夜の事。
 星は誰かの願いを乗せて、今日も明日も光るのだろうか。
 それならば、俺の願いも叶えてはくれないだろうか。
 いつかあの星まで手が届くような存在になるから、どうか。

 あの海でもう一度、彼女に会えたら――

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